「御食国」「海のある奈良」等
若狭小浜のいろいろな顔を
ご紹介します。
 小浜は室町時代から江戸時代後期にかけて、都に近い日本海の要港として栄えました。「海のある奈良」と呼ばれる「海」の語意は、海外からの文化の流入路、すなわち「湊」であったことが多分に込められているそうです。

日本で初めてゾウが来た!
「初めて象が来た港の図」
小浜市役所1階
 南蛮の国王『亜烈進卿』の使者の乗った船が小浜に着いたのは、室町初期応永15年(1408)6月のこと。船には黒い象1頭、山馬1頭、孔雀2対、オウム2対、その他いろいろな珍しいものが積まれていて、それらは京に上って将軍足利義持に献上されました。初めて象を見た小浜の人たちの驚きはどれほどだったでしょう。南蛮の人々の風体もさぞ異様に写 ったに違いありません。でもそこは湊人気質。新しい文化の受け入れも案外スムーズだったに違いありません。

大盛況だった
日本海運業「北前船」
 江戸時代中頃の亨保年間から廻船問屋を営んだ古河屋は酒、醤油の醸造、金融業を兼業し、若狭随一の豪商に伸し上がりました。
 江戸後期には9隻前後の北前船を持ち、蝦夷から日本海沿岸、瀬戸内海を経て大阪に至る西回り航路を往復していました。
 取扱品は昆布や大豆の他にもじつに様々。きっと、若狭塗の調度品も売買されて運ばれたことでしょう。文化9年(1812)には店卸し高で約4万4千両にも上り、小浜藩に上納金を納めるほどの大繁昌ぶりです。
北前船船頭の家(写真上)
北前船の模型(写真下)

800年を生きた若狭の人「八百比丘尼」
マーメイド
テラス
八百比丘尼
入定跡
 その昔、小浜の長者に美しく賢い娘がおりました。その娘が16歳のとき、竜王に与えられて人魚の肉を食べたため、以来何年経っても若く美しいままで年を取らなくなったとか。
 そこで娘は120歳のとき髪を剃り、国々を旅して病の人を治し、貧しい人を助けてまわりましたが、のちに故郷である小浜に帰り、およそ八百歳にして後瀬山麓の洞窟に入定という伝説から八百比丘尼と呼ばれています。
 『不老長寿』の人生は、死ぬことを許されない長く苦しい歳月だったはず。にもかかわらず人に尽くした比丘尼のやさしさが忍ばれます。

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